Life in a Glass House

Well of course I'd like to sit around and chat But someone's listening in.

会いに

 夜からのそれはひとまえに出るしごとなので、たとえ数時間ていどの遠出でも周囲はわりといやがったけれど、きこえないふりをして電車にのった。駅のホームで特急をまちながら、そういえばこのまえは真冬にいったのだとすこし思いだす。はく息が白かった。手桶と柄杓をもつかの女のゆびもまっかになっていた。
 とちゅうの駅で特急をおり、私鉄のうらぶれた車窓をぼんやりとながめる。
 どんよりと、いまにもなにか降りだしそうに紫暮れている。
 このまえはあんなにはれていたのに。真冬の夕ぐれのすこしまえ、いまよりさらにうっそうと垂れこめた雲や梢のすき間から、ちりちり差しこむひかりが目にしみるほどだった。
 あのときは人をつれていた。死んだ人もずっとかの女にあいたくて、あいにきてくれるのをよろこんでいたのかもしれない。
 なるほどきょうはひとりだ。歓迎はされていない。
 
 故人とは、とりたててなかがよかったというわけでもない。こちらが一方的にその才にあこがれていた。ほとんど異能といってもいいほどの才だった。
 生きているうちにかわすことのできたことばは片手のゆびで足るほどのものだった。それからなん年かたちいろいろと世のなかもかわったけれど、かれが生前なにかにとり憑かれたように愛したものを、深夜思いつめた声色の電話ひとつで──なさけ深いため息とともに──呼びだすことのできる位置におさまったことを、うしろめたく思っていないといえばうそになる。
 おそらくはだから、歓迎はされていない。
 
 がたんと音がして当世風の愛らしいデザインの車体がゆれた。あわてて標識をみるとおりるべき駅だったので席をたつ。小さなかばんに持ってきた花をわすれないように。改札にそなえつけられた小箱にきっぷをおとすと、なんとも古式ゆかしい字体の看板が目についた。
 つくのえでら、と、うたうようにかの女はいった。じっさいには、その駅はもっと無骨でものものしいよみ方をするものだったけれど、かの女ははじめてこの駅におりたったとき、今はなき恋びとにいったのだそうだ。つきのえでら、つくのえでらか。うちとこのお寺さんやったらきっとそうよむわ。
 
 さめたエメラルドグリーンの文字を背にしてぽつぽつと歩きだす。世界遺産になったばかりの霊峰が厭でも視界のなん割かを占める、すさまじい景観のひどくさびれたまちだ。〝かんたんには理解できないほどの大きさ〟と、これもかのオデットの言によるものである。死んだ男はそうやってものごとをやすやすとのみこんだ気にならないかの女の気性をばかばかしいほど愛したものだった。
 ばかばかしい。本当にばかばかしい。男の気持ちは痛いほど理解できる。
 
 人けのないみちをぼそぼそと歩きつづける。あのときはところどころ凍ってすべりやすくなっていた鋪道を、くつの底をひきずるようにして歩いていく。
 菩提寺は坂のとちゅうにはりついた苔のようにしてあり、すり硝子の戸板をたたいてみるものの返事がない。あの日、たまたまはめていた手袋をいいわけに、ひいていた手をまち針にして、かの女がたちどまった石段の中ほどにひとりたちどまってみる。
 もういちど声をかける。あさ起きてからいちども声らしい声を発していなかったから、ろくに音にならなかった。
 このまえはどうしたのだったか。やはり応えはなかったのか、さっぱり思いだせない。ただ手をひいていた人の――めずらしく――頑是ないような声色だけをおぼえている。お住さんにご挨拶せなね。〝ご住職〟の意味だと、あとで人にきいた。
 
 あきらめて手水のわきにたてかけた手桶を柄杓を手にとる。墓地はとし老いた高架のすぐそばにある。高架にのろわれたような人生だったのだなと今さらのように思う。
 とてつもなく足が重い。こんなところまできて嘔きそうなほど後悔している。
 
 ちゃんとあの人がしたように、新宿駅の小さな花屋で花も買ってきた。墓前にふさわしいとも思えない黄色いばらだ。
 友情、愛の告白、嫉妬を意味するとかの女は笑った。わたしはあの人のともだちだった。いろんな関係であったけれどもさいしょはほんとうに気のいいともだちだった。それだけでよかったという思いばかりいまもあるけれど、あの人はそうじゃないのだろう。だからこの花がふさわしい。そんなようなことを、かの女のくにのきれいなことばでしとしとと話した。一字一句おぼえていたいのに、その文法はもちぬしに似てあまりに浮世ばなれして、一度きいただけでは言いまわしまで頭蓋のなかにとどめておけないのが、ひどく悲しい。
 
 墓参にきたのだか人を恋いにきたのだか、わからぬままずるずると坂をのぼっている。