Life in a Glass House

Well of course I'd like to sit around and chat But someone's listening in.

冒険者の宿

 日にいちどはきまったあいてのことを考えるときめたら心がずいぶんらくになった。遮光性がある、ということばを友だちがつかっていてそれがとてもおもしろい、というようなことをかの女はいった。遮光性って、ひどいけれどもだいじなことばだ、陽もたかくなってからようやくねむることもままあるような身には、と。
 それはとてもだいじだね。インテリアを考案するうえでほとんど最重要課題にちかい。まじめくさってこたえると、ウエハスみたいな声でひとしきりわらってから、かの女はだいたいこんなようなことをいった。

 ひとりでいるとぎりぎりまでへやの灯をいれられない。ちょっとつかうぐらいなら午はトイレや給湯室の灯もつけない。いまはとおくにすんでいて、東京滞在中のねぐらを供してくれようとする人がたくさんいるけど、いつもあかるくして他人をむかえいれるしたくをしながらくらすなんてできる気がしない。このあいだいったあなたの家はよかった。いつもうすぐらくて。

 じつにみちたりた心もちになり、そんなことは造作もないとうけあった。仕事をしている間じゅう、この人はずっとたたかっているのだ。ばくぜんとものをつくりたい人間がおり、設計図をひく人間がおり、資材をしつらえる人間がおり、それぞれにそれぞれの思いやつごうがある。すべてが折りあうことはほぼない。そのなかにあって、足りない穴をふさぎ、はぎれを縫いあわせてつぎ目をうつくしくかざり、人びとの切実なおもいからとるにたらないプライドまで、ほとんどすべてを守りとおすためにたったひとりでたたかっているのだ。何度も目にした。まるで魔法のようだった。特別なにをしたようにも思われないのに、その一手はふしぎと衝突した思惑どうしをするりとかみ合うものにするのだ。
 編集とはこれまでの半生をつかってするものだと、いつだったかかの女はいった。はれているのをくもり空に変えるとき、自分はいったいくもり空をどういうものにおもっているのか、根こそぎつかんで白日のもとにさらすような仕儀のことだと。なにをどうすれば、そうでなかったものを、初めからそうであったかのようにつなぎなおすことができるのか、記憶を、心を、思考を、総動員してのぞむものだと。
 そうして自分をこまぎれにして使いはたしたあとのその人に、あかるみにでて貪婪にすこやかに生きろとのぞむなどばかげている。あなたはなにもしなくていい。くらやみで息もたえだえによこたわり、すり減った部位をやすめていればいい。
 戦場にいないときのあの人を、もう誰もさいなみませんように。いのるようにいつも思う。守りぬいてもらったいくつもの理想が光学ディスクをはねまわっている。きらきらしてとてもきれいだ。